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Route 66 Bear from Kingman, AZ 2013

今回の旅行で2日目に滞在したアリゾナ州Kingmanのビジター・センターからいらっしゃいましたRoute 66 ベアさんです。







腕には”ARIZONA”と”Mother Road”の文字が刻まれています。なんかタトゥーみたいですねぇ。









特徴は何と言っても黄色い口。黄色い口のクマなど世の中には存在しませんが、近い感じで言えば東南アジアのマレーグマですかね。北米にはグリズリーやらクロクマやらはいますがマレーグマはいませんので、なんで彼が黄色い口にされたのかは不明です。







これで我が家のRoute66さんは3体になってしまいました。以前にご紹介した通り、最初にアリゾナ州セリングマンからいらっしゃった全身タトゥーの黒クマさんは「Route66さん」とお呼びしています。そしてアリゾナ州フラッグスタッフからいらっしゃったバイク乗りのベアさんは「フラッグスタッフさん」。じゃぁ今回いらっしゃった方は?たぶん「キングマンさん」と名付けられるのでしょう。







フラッグスタッフさんもキングマンさんも「地名よりRoute66キャラの方が立ってるだろ?」と不満が出そうですよね。まぁアリゾナ三兄弟で仲良くやってください。



Kingmanはアリゾナ州モハーベ郡の郡庁所在地。人口は2万8千人程度で90%が白人の街です。







この地に米国人が現れたのは1857年。米国陸軍の地理エンジニアであるEdward Beale氏がワゴン・ロードの敷設調査のために訪れ、1859年まで調査してワゴン・ロードを敷設しています。この古い道は現在のHistoric Route66やI-40の一部として現存しているんだそうです。



アリゾナが米国の準州となったのは1961年ですから、1850年代後半と言えばアリゾナがメキシコ領から米国領となりニューメキシコ準州管轄であった時代ということになります。



日本では幕末ど真ん中の頃。黒船が来て大騒ぎしてたころです。当時の米国は黒船で日本まで来ていたかと思えば、西部は馬車の通る道を開拓してたんですね。



Kingmanが街として形作られたのはワゴン・ロード敷設から20数年後の1882年。Atalantic and Pacific Railroadの駅ができてからです。最初は数件の下宿屋と商店があるだけの小さな始まりだったということです。



この鉄道会社の調査員であったLewis Kingman氏にちなんでKingmanという名前が付けられました。彼は1880年頃にニューメキシコ州のアルバカーキからカルフォルニア集のニードルズまでの敷設調査、鉄道敷設の際は工事監督を行い、鉄道敷設に大きな貢献をした方です。



500人程度の街が1950年代には3千人となり、1990年代は1万3千人の街まで成長しています。過疎の街かと思ったら大間違い。大手企業の工場進出や空港の整備などで雇用が生まれ、2010年の国勢調査では2万8千人と、1990年代から倍増しています。



妻はまだ留守中ですので、HDDに撮りためた映画を消化しなければなりません。だいぶ前に録画しておいて放置していた”The Iron Lady”を観ました。







邦題は「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」。第84回アカデミーでメリル・ストリーブが主演女優賞を受賞したことでも有名な作品です。サッチャー元首相の伝記映画ですが、痴ほう症となった事を受け止められない葛藤や亡き夫への愛情、家族への懺悔など、「私はすごい政治家でしょ?」という内容だけではありませんので、映画作品として観る価値がある内容に仕上がっていると思います。構成が上手いんでしょうね。


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DATE OF PRODUCTION : 2012-06

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